正義感の強い人

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みなさん、こんにちは。

今回は正義感の強い人について見ていきます。

僕もこれまで正義感の強い人から「これは問題発言なので訂正したほうがいいです」と言われたことがあります。その指摘をしてくれたこと自体はありがたかったです。しかし、正義感の強い人は人脈・ネットワーク構築に支障をきたします。メンタル的にも息苦しくなり、診断士に必要な三大態度の「ポジティブ・楽しい」を満たしにくくなります。

今回はそういうことについて見ていきます。

それでは、今回もよろしくお願いします。

正義感の強い人の特徴

正義感の強い人は「べき」思考が強い特徴があります。コロナのときの自粛警察やマスク警察のような「○○警察」と呼ばれる方が典型例ですね。

自分が定めている「べき」に反することをされると、自分の期待が裏切られたと判断し、相手に対する怒りや憎しみが生まれます。コロナのときが典型例ですが、「自分は我慢してルールを守っているのに、守っていないお前はずるい。だから懲らしめてもいい」という思いが背景にあります。そして「お前は間違っているから、私が正しいことを教えてやる」という形で相手に指摘をしてしまうのです。

正義感は「私は正しい、間違っているのはお前」という信念に基づくもので、人間関係や自身のメンタルにとっても厄介なものとなっています。

正義感は世間の常識や正論を盾に主張ができるので、簡単に称賛を集められます。ネットで言うと「イイね」や「そう思う」を手っ取り早く集めて承認欲求を満たすことができます。同調圧力をかけて相手がそれに従うことが気持ちいいのです。

これに快感を覚えてしまうと、いわゆる「正義中毒」になってしまい、口うるさい人やノイジーマイノリティになりやすいです。

そのような性質がある正義感の強い人は、他人に「これはやめたほうがいいです」と言ってくるので、他人からは面倒な人、関わりたくない人と思われやすく、人脈やネットワーク構築が非効率になります。

また、正義感の強い人はメンタル的に息苦しさを感じていることが多く、他人の不幸やマナー・ルール的に反することに敏感に反応します。そのため、ちょっとしたことにも怒りっぽい、不快になりやすいなどの特徴もあります。

例えば芸能人や企業の不祥事を扱う動画は普段の動画より再生数がかなり伸びます(だから動画配信者もその不祥事を扱う動画を何本も出します)が、これも正義感の強い人が増えている証拠と言えるでしょう。

そのため、正義感の強い人は診断士に必要な三大態度の「ポジティブ・楽しい」を満たしにくくなります。マナー違反などがあればすぐにネガティブな感情が出てきますし、風紀委員や監視役のような癖がついているので人生を楽しく過ごしにくくなっています。

確かに、正義感の強い人でも感情任せの指摘ではなく言い方に気をつけて指摘する人もいて、そういう人なら「謙虚」は満たしています。しかし、「ポジティブ・楽しい」は満たしていません。と言うより、正義感が強い限りは満たせません。

「べき」や正義感は主観的なもの

「モラハラ」も正義感から来るものです。「世間の常識ではこうだ」とか「こうするのが当然だ」という、否定しにくい理由を挙げて相手に圧力をかける(相手を従わせようとする)やり方ですね。

でもその「常識」って、法律で決まっているものではありませんよね。「当然」も統計的なデータを取って割合を出したわけではないですよね?

例えば「電車の中では静かにするべきだ」という「べき」をもっているとします。でもこれって鉄道会社が公式で発表しているわけではありませんし、法律で定められているわけでもありません。中には「大声で話すわけじゃないなら話してもいい」と考える人もいますし、何なら「大声で話しても問題ない」と考えている人もいます。そういう人に対して「電車の中では静かにすべきだろ!」と注意するのは論理的におかしいですし、「電車の中では静かにすべきなのに、こいつらわかっていないな」と思いながらイライラするのもバカバカしいですよね。

また、その正義感の強い人も、時と場合によって「常識」や「当然」が変わっていませんか?「旅の恥はかき捨て」という言葉があるように、普段は厳格でも旅先ではハメを外していることもあると思います。

そうなんです。「べき」や正義感はあくまで主観的なものであって、客観性はないのです。

改善策

ここからは改善策を見ていきます。一見すると難しそうに思えますが、実はやり方としてはあっさりしています。

他人に対して考えなければいいのです。不快なことをしている人がいても解釈をせず「・・・・・」でいけばいいのです。

人間が「べき」と思うのは、これまでの自分の生き方や価値観を背景に他人に対することが多いです。言い方を変えると、他人や過去という管理不能なものに対して「べき」を適用していることが多いことになります。
他人のことや過去のことなど、管理不能なものには関わらない。不快なことが起きたら考えようにして思考を停止して「・・・・・」でいく。これだけでも「べき」はかなり減りますし、ネガティブな感情・状態を減らすこともできます。

「べき」の量が多い、質が高い人ほど、他人への理解が欠けている傾向があります。人は何でもかんでも合理的・論理的に考えるわけではありません。感情があります。たまには因果関係がつながらないことや、合理的・論理的ではないことを考えるものです。そういうことへの共感もしていってほしいです。

「べき」を減らすということは、多様性を認めることにもなります。例えば「電車の中では静かにする」という価値観以外にも、「大声で話すわけじゃないなら話してもいい」、「大声で話しても問題ない」という価値観を認めることにもなります。何なら「スピーカーモードでスマホの動画を見てもいい」と考えている人もいるので、そういう人の価値観も認めていくことになります。

多様性が進むということは、自分の価値観が裏切られることが増えることにもなります。つまり、「自分の目の前には自分が理解できない人がいることになる」という状態を受け入れることにもなります。

はい、ここはポイントです!
ほめ達のときにも見た「人・モノ・出来事」に対する許容度・合格ラインを下げるのです。

自己肯定感を高める

自己肯定感を高める路線もあります。精神的・時間的余裕をもつことにもつながっています。

正義感を暴走させて他人に怒る人は、自己肯定感が低い傾向にあります。家庭や仕事などで問題を抱えている、周囲の人に受け入れられていなくて自分の居場所がないなどにより、自分に自信がなく、自己肯定感が低いことから、その八つ当たりとして「正義の鉄槌を下す」という名目で他人に注意をして自己肯定感を補っているのです。

今回は正義感の強い人について見ていきました。ほめ達なら、たとえ不快なことが起きても他人に自分の正義感をぶつけることはありません。僕もそのようになっていきたいと思っています。

今回もありがとうございました。