みなさん、こんにちは。
前回は「子持ち様、子連れ様」について見ていきました。前回は主に周囲の人や「まともではない親」の視点から見ていきましたが、今回は「まともな親」の視点も含めて見ていきます。
まともな親でも、昔よりも子供を叱ることが少なくなっています。
これにはいくつかの理由があるので、今回はそれを見ていきます。
それでは、今回もよろしくお願いします。
子連れが子供を叱らない主な理由
これもいくつかあります。1つだけというよりも、いくつかの要因が重なり合っていることが多いです。
他人の視線を気にしている
まずはこれです。昔と比べて今の日本人は自己肯定感が低いため、自分の意見に自信がないのです。そのため、子供を叱ってしまうと「叱っている親」に対する周囲の人からの冷たい視線や批判が来ると思ってしまい、それを恐れて叱ることができないでいるのです。
例えば子どもを叱ると、
• 「公共の場で怒鳴る親は非常識」
• 「虐待っぽく見える」
といった目で見られると思っているのです。
また、叱ると上記のような視線や批判が来る(と思っている)、叱らなくても他の人からの冷たい視線や批判がくるということで、「叱っても叱らなくても文句を言われる」と考えてしまい、それならばと親は消極的な態度を取らざるを得なくなることもあります。
「子どもだから仕方ない」と思っている(または信じている)
これは「まともな親」でも「まともではない親」でもあり得ます。むしろ後者のほうが多いかもしれません。
前者のほうはどちらかと言うとポジティブな意味で子どもの未熟さを尊重しています。特に初めての育児、あるいは「自己肯定感を育てる育児法」に影響を受けた親は、子どもの感情や行動をあまり抑制せず、自由を優先する傾向が見られます。
逆に後者のほうは周囲の理解や我慢を期待しているので、「子持ち様、子連れ様」ということになりやすいです。 特に「子どもは騒ぐもの」「社会が受け入れて当然」という意識がある場合、多少の騒ぎは「許されるべき」と感じている可能性があります。
問題になるのは後者の「まともではない親」がもつこういう意識です
親自身が疲れ切っている or 精神的に限界
これは先ほどでいう後者(まともではない親)にはほぼありません。まともな親で、自分に自信がないからこそ、子供のことで精神的に疲弊してしまい、叱る気力がないのです。
例えば子どもがぐずるのは日常茶飯事で、レストランや電車の中でふざけていたら何度も注意するけど思うような効果がない。このような状況では寝不足、体力不足も重なってメンタルが疲弊してしまい、「もうどうでもいい…」と無力感に支配されてしまうこともあります。そしてこの場合、他の人は「放置してる」「甘やかしてる」と思っているのではと思ってしまい、内面はボロボロなこともあります。
公共空間での「自分の権利」を強く意識している
これは「まともではない親」限定です。これこそ「子持ち様、子連れ様」の典型です。例えばレストランで混雑をしているのになかなか帰らない親っていますよね。
「自分も料金を払っている。だから居てもいいし、気を使いすぎる必要はない」とでも考えているのでしょうか?
そして、こういう考え方をする人だと、子どもが少々騒いでも、
「うるさいのが嫌なら他の店に行けば?」という内心のスタンスになることがあります。
いわゆる「子持ち様、子連れ様」という言葉は、こうした「被害者意識と自己主張の混在」を揶揄したものです。
叱ることを「悪」と考えている
これは「まともな親」のほうが多いです。過剰な「自己肯定育児」や「非罰育児」の影響も受けているとされています。つまり、怒ること自体を「悪」とみなしている教育思想です。
一部の育児論では、子どもを叱る(怒鳴る・罰を与える)ことが「人格形成に悪影響」とされており、「共感」や「対話」で対応すべきとされています。その結果、公共の場で子どもが明らかに迷惑をかけていても、親は感情をぶつけずに静観、後で話せばいいと判断する対応を取ることがあります。
周囲との温度差が生む「いらだち」
ここまで、「まともな親」も「まともではない親」も含めて子供を叱れない理由について見ていきました。
しかし、電車という閉じた空間やレストランの中では、悪ふざけなどをしている子供の行動がより強く目に入り、親が叱ることを望む気持ちが高まります。
その一方で、まともな親なら「迷惑をかけてることは分かってる、でもこれが精一杯」という場合も少なくありませんし、まともではない親なら「それくらい我慢しなさいよ」という逆ギレ的な発想になります。
この温度差が、乗客の中で「なんで叱らないの?」という不満を生み、「子持ち様、子連れ様」という言葉を加速させているのだと思われます。
今回は子供を叱れない理由について見ていきました。
今回もありがとうございました。