無理やりなポジティブ②

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みなさん、こんにちは。

前回の記事で無理やりなポジティブ解釈をしてしまう心理について見ていきましたが、それを他人に強要したり、押し付けたりする理由や、ポジティブな空気を作りだかる(ネガティブ解釈をする人は去るような雰囲気を作る)理由は何でょうか?

今回はそれについて見ていきます。

それでは、今回もよろしくお願いします。

今回のサムネ画像は、前回と同じく「ことでん」の車両です。「ことでん」は高松を走る中小私鉄で、車両が東京や関西の大手私鉄で走っていた中古を使用していて、「動く鉄道博物館」とも言われています。

無理やりなポジティブを他人に強要する理由

さて、今回のテーマであるポジティブな解釈を他人に強要する理由は何でしょうか?
絶望的な試合展開にも関わらず「まだいける!」「信じろ!」と前向きな応援をやめない、あるいはそれを他人にも求めるファンはよく見かけますよね

このような「前向きな応援の強要」は、単なるポジティブ思考ではなく、心理的・社会的なメカニズムが複数絡んだ行動です

以下でその心理を、段階的に深掘りしていきます。

感情のコントロール

まず、自身の感情のコントロールとしてのポジティブ応援があります

贔屓チームが負けていると、怒り・悲しみ・落胆・ストレスなどのネガティブな感情が生まれますよね。それを自分で受け入れるのは辛いため、「希望を持ち続けること」で自分の心を守ろうとするのです。
その結果、「まだいける!」などの言葉を他人に出しているのです。

しかしその実態は、他人に言っているのではなく、自分自身に向けての自己暗示でもあるのです。

ネガティブな内容を認めたら自分のメンタルが崩壊してしまうから無理して強気になっている、というイメージです

集団内の「規範」として

学級委員などのイメージで、規範としてポジティブな振る舞いをしています。一種の「べき」思考でもあります。「自分が先頭に出てみんなを引っ張っていかないと!」というイメージです。

一部の応援文化では、「どんなときでも信じて応援するのが正しいファン」という暗黙のルール(規範)が存在します。それを「べき」と捉えてしまうと、自身はもちろん、他人に対してもそれに反する(=諦める、批判的になる)と非国民扱いやにわか扱いをしてしまうのです。

例えば「諦めるなよ!」という発言は、実際には応援という行為に対する「べき=道徳的な強制」とも言えます。
また、「まだ応援をやめるな」という態度は、「お前も仲間なら応援し続けろ」という無言の圧力になっています。

自己同一性の防衛

また出ました、自己同一性。つまり自身のアイデンティティの防衛です。

特に、「自分はこのチームの熱心なファンだ」という自己像(アイデンティティ)を持っている人ほど、「チームの負け=自分の一部の否定」と捉えてしまい、それを否定されたくないため、「まだ希望はある」と信じ続けることによって自己同一性を守ろうとします

結果的に、自分自身や他人に前向きな応援を強要することで、自分の信念や立場を正当化・補強しています

引き寄せの法則の期待

これはたまに聞く意見ですね。「どんなときでも最後まで応援すれば勝利を引き寄せる力になる」という信仰です。「仮に今日負けても、今日の応援が明日の勝利につながる。だから今日の試合がどれだけの点差で負けようが最後まで応援する」と思っています

この背景としては、「応援の力がチームに届く」とか「応援を止めたら負ける」という擬似宗教的な信念がある。これは心理学的には「コントロール幻想」と呼ばれ、自分にはどうにもならないことに対して“関与できる”と信じたい心理です。
その結果、一部のファンにとって「最後まで声を出し続けること」が、まるで今回の試合や今後の試合の運命を左右するという思いになります

そんな非科学的な思いを他者にも押しつけることで、「全員で力を合わせれば何かが変わる」と感じたがる傾向があります

ポジティブ強制社会の影響

これは日本社会特有の圧力とも言えます。

日本の文化的傾向として、「ネガティブな感情は表に出さず、前向きでいることが美徳」とされやすいです。
そして、スポーツ応援にもその価値観が持ち込まれ、「批判=不謹慎」「諦め=冷たい」「ネガティブ=空気が読めない」ということになりがちです。

結果として、「まだいける」と言っておけば場が丸く収まるとか、「場の空気的に否定的なことは言いにくい」となります

結局、ポジティブ応援が社会的適応の手段になっているということです

ポジティブが悪いわけではない

前回も述べましたが、無理やりなポジティブ解釈を個人でするのは自由です
しかし、それを他人に強要するのはNGです

応援の姿勢は人それぞれです。前向きでも後ろ向きでも、熱血的でも冷静でもいいのです。しかし、自身の応援の姿勢を他者に強要し始めると、排他性や攻撃性につながります

「応援の仕方に正解はない」という柔軟さが大切です

前回と今回はプロ野球のことについてポジティブな解釈をし、それを他人に強要する人について見ていきました。

次回はマスコミについて見ていきます。

今回もありがとうございました。