SNSでの報告が自慢に聞こえる理由

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みなさん、こんにちは。
前回はSNSで嬉しい報告をするときは慎重にすることについて見ていきました。

ところで、SNSでこういう嬉しい報告をすると他人からすると自慢のように聞こえてしまうのはなぜでしょうか?

これは「SNSがリア充アピールばかりでウザい」と思われる理由にもなっています。

今回はそちらを見ていきます。
それでは、今回もよろしくお願いします。

いくつか理由がある

前回見たような2次試験の採点サービスの結果や、案件の獲得や内定など、嬉しい報告をSNSですると他人からすると自慢のように聞こえてしまう。これは話し手の意図と、聞き手の心理状態・文脈のズレで起きやすい現象です。整理して説明します。

嬉しい報告は「評価の上下」を含みやすい

つまり、嬉しい報告はタテの意識が強く出やすいからです。

2次試験が最たる例です。「合否」はもちろん、合格者の中での点数も上下を含むものです。
合否が出る前の採点サービスの結果でも点数や評価(判定)でも上下で表されますよね。

合格・高得点・昇進などの報告は、どうしても「社会的評価・優劣・序列」を伴います。

・合格した → 合格していない人がいる
・高得点を取った → それ以下の人がいる
・昇進した → 昇進できなかった人がいる

こういう「優劣」がついてしまうのです。

本人は「嬉しかったから共有したい」だけでも、聞き手は無意識に「比べられている」や「自分は下に置かれた」と感じやすいです。この報告内容が自分と全く関係ないものでもなんかモヤモヤします。
この相対評価の構造が、自慢に聞こえる第一の理由です。

仕事の案件をいただいたことや内定を取れたこともです。仕事の案件をいただいたということは、その仕事をもらえなかった人もいるということですし、内定を取れたということは、落とされた人もいるということです。

2次試験の合格発表があると、SNSは一種の「祭り」状態になります。合格してテンションが上がり喜びを爆発させたい気持ちはわかります。しかし、合格したということは多くの不合格者(敗者)がいます。投稿の中でその敗者へのリスペクト(敬意)も忘れてはなりません。また、その合格の裏には支えてくれた多くの人がいます。その人たちへの感謝も必要です。
それらを踏まえた投稿ができる人と、ただ合格と点数だけ投稿している人では、合格した段階ですでに謙虚さの差がついています。

関与が高いほど刺さりやすい

特に、聞き手の「その分野への関与度」が高いほどタテの意識が出やすく、報告からくる優劣(上下)の雰囲気が刺さりやすくなります。

企業経営理論でも「関与」の特徴を習いましたよね。自分に関係あるものほど関与が大きくなって、他人からの情報に敏感になるというものです。

同じ報告でも、聞く側の立場で受け取り方は激変します。
例えば診断士の2次試験なら、同じ試験を受けた人、何度も落ちている人、診断士試験にコンプレックスがある人からすると、共感よりも自己評価やコンプレックスへの刺激が先に立ちます。

結果として、聞き手の中で「報告」ではなく「自慢」や「誇示」に変換されやすいのです。

これは聞き手の防衛反応なので、悪意とは限りません。

また、努力は優劣のつくものではありませんが、結果は優劣がつきます。
このとき、「努力の共有」より「結果の提示」が前面に出ると自慢化しやすい性質があります。

例えば「今日も勉強を頑張った」という報告なら努力の共有なので聞き手も自慢とは思いません。
しかし、「合格した」とか「○○点取った!」という報告だと結果の提示になるため、聞き手には「成果=自分の価値」を強調しているように聞こえやすいです。
つまり、結果だけの報告は「評価の主張」に見えやすいということです。

日本文化特有の「出る杭警戒」と謙遜規範

日本人らしさと言いますか、日本だとこれもありますよね。

日本では特に、謙虚であることや謙遜が美徳とされます。活躍する診断士の三大態度の1つに謙虚さがあるのも、日本人特有の性質なのかもしれません。

成功は控えめに扱うものであり、喜びは内輪で分かち合うという暗黙ルールがあります。

そのため、SNSで外に向けて嬉しい出来事をそのまま伝えてしまうと、「空気が読めない」、「自慢っぽい」と相手に解釈されやすい土壌があります。

不安から解放されたい思い

これは理由としておかしい気がするかもしれませんが、実は双方に心理的な要因があります。

まず、「報告している側」です。報告している人も、例えば診断士試験の受験生なら合格できるかどうか、合格しているかどうかの不安が合格発表の瞬間まで襲いかかっています。受験はメンタルの勝負でもあるわけです。その不安から早く解放されたい一心で、採点サービスの結果が返ってきて良い結果だとそれをSNSで報告してしまい、コメントや「イイね」によって(一時的とは言え)不安から解放されます。

診断士になってからも、「自分は診断士としてやっていけるだろうか」という不安や「もっとお金を稼がないと」という焦りから、仕事の話が入ってくるとそれをフライングでSNSで報告してしまい、こちらもコメントや「イイね」によって(一時的とは言え)不安から解放されます。

そして、重要なのはここから。
今度は「報告された側=SNSの投稿を見た側」です。
実は「報告された側=SNSの投稿を見た側」の人も、関与が強い人ほど同じような不安や焦りを抱えているのです。
不安や焦りがあると、ネガティブ思考になりやすくなります。

そうなると、タテの意識やコンプレックスが刺激されやすくなり、ちょっとした刺激にもネガティブに捉えてしまいます。他人のSNSの投稿も「自慢に聞こえる」と感じやすくなります。
自慢に聞こえるとき、聞き手の心の中にはネガティブ思考が広がっていて、「羨ましさ、焦り、劣等感」や「自分も頑張っているのに」という思いがどんどん増えていきます。

これにより、他人の成功が自分の未完了感を刺激されることになり、不快感につながるわけです。そして、その不快感のラベルとして「自慢」という言葉が使われることも多いです。

本当に自慢の意図がない場合でも関係ない

もちろん、報告している側に自慢などの魂胆はなく純粋に共有したいだけの場合もあります。

しかし、その場合でも聞き手はタテの意識やネガティブ思考が刺激されてしまうことが多いです。ここにズレが生まれてしまい、結果として自慢の意図はないのに自慢に聞こえてしまうわけです。

SNSでアンチコメントが来てトラブルになる場合、こちらのケースのほうが多いかもしれません。

報告する側ができる対策

このような心理や理由があるため、仮に自慢の意図が全くない場合でも、嬉しい報告については慎重になったほうがいいです。
途中で報告するのではなく、最終的な結果が出たタイミングや情報解禁になったタイミングまで報告は待ったほうがいいです。

また、報告の際は結果とともに感情や過程もセットにして、「みなさん、ありがとうございました」などの感謝の気持ちや、「まだまだここからです」などの余白を入れておくといいです。

例えば診断士の2次試験の合格と点数の報告なら、それにプラスして「これまで支えてくださったみなさん、ありがとうございました」と「診断士としては新米なので、先輩方よろしくお願いします」という文章を加えるだけで、聞き手からすると謙虚な報告のように思えてきて、自慢に変換されにくくなります。単に合格したことと点数だけの投稿と比べると、見違えるくらい相手の印象は変わってきます。

もちろん、前回見た僕なりの対策の①にあった、「自分一人だけで済むものを報告すること」も有効です。

今回はSNSでの嬉しい報告が自慢に聞こえやすい理由について見ていきました。

嬉しい報告が自慢に聞こえるのは性格の問題ではなく、心理構造の問題です。つまり人間ならどんな性格の人でも起こり得るわけです。

今回もありがとうございました。