みなさん、こんにちは。
前回まで、あまりにも価値観がかけ離れた人に対して、ほめ達として「負けない戦い」ができることについて述べていきました。
こういう価値観の人って、基本的には自分の価値観と180度異なります。150度や120度くらいの場合もありますが、それにしても自分の価値観と大きく開いているのは変わりありません。
特に政治のように「自分の大事な価値観」や「社会正義」に関わるテーマは、正反対の主張を受け入れるなんて普通に考えたら無理ですよね。
その一方で、自己啓発の本やセミナーではよく「正反対の価値観を目の当たりにしても、一度は受け入れて考えてみることはしたほうがいい」と言われています。
受け入れるのができないんだけど、どうすればいいの?
今回はこういうことについて見ていきます。
それでは、今回もよろしくお願いします。
そう言われているけど、、、
「正反対の価値観を“いったん受け入れて考えてみる”」って、頭では分かっていても実際はかなり難しいですよね。
特にその価値観が政治や野球の贔屓のように自分の大事な信念とぶつかるほど、身体が拒否反応するのは普通の反応です。
例えば政治なら与党支持者だと野党支持者(特に演説妨害をするような人)の価値観を受け入れるのは無理だと思いますよね。
でも、「受け入れる」というのは、実は賛成することでも同意することでも、自分を曲げることでもないのです。ここを理解すると一気にラクになります。
そこで、ここからは受け入れられない人がまずやるとラクになるやり方をご紹介します。
①「理解のための仮置き」と捉える
英語の仮定法みたいに、一時的に「もしこの考えが正しい世界線があるとしたら…?」とシミュレーションするイメージです。
心理学ではこれを 仮説採用と呼んだりします。
このやり方は、自分の価値観を変える必要は一切なく、単なる「仮定法の中だけの思考実験」と思うことで、心理的抵抗がかなり下がります。
そして、その仮定法の思考実験の中で、「その人はなぜそう思うのか?」の理由を考えてみます。
価値観そのものを受け入れようとする必要はなく、「その価値観に至った背景」だけを推理する。
つまり、「その価値観そのもの」を受け入れようとすると無理ですが、「なぜそのような行動や思想になるのか」の背景だけを見ると、気持ちが軽くなります。
例えば選挙の演説妨害をする人がいて、なぜそういう思想になって、なぜ演説妨害するのかを考えてみます。そうすると、「何度も政府に期待を裏切られた経験があるのかもしれない」などの考えが出てきます。
演説妨害のような行動も、その人にとっては「正義」になっています。演説妨害する人は多くの場合、自分の主張は正しい、相手は危険・間違っている、抗議は社会的に良いことだと思い込んでいます。その良し悪しとは別に、「その人がそう感じる背景」は確かに存在するのです。
これってどこかで見たことありませんか?
「背景の事情を考慮して労をねぎらう」ですよね。
行動は価値観ではなく感情由来のことも多いとされています。
特に演説妨害のような過激行動は、どうしても理屈よりも怒り、不安、恐怖などの感情に根差すことが多いです。つまり価値観そのものを理解しようとするより、感情や傷つき・不安を理解した方が楽です。
「受け入れる」が「賛成する・認める」という意味だと思うから無理になるんです。必要なのは「価値観の理解(=背景や理由の把握)」であって、「価値観の受容(=同意)」ではありません。
「価値観」ではなく「経緯」に注目すると、受け入れやすくなります
人間は自分のアイデンティティ、道徳的価値観、世代的経験、日常で接している情報によって価値観が形成されます。そのため、どの分野にも「受け入れがたい価値観」があって当然なのです。
価値観そのものを肯定する必要はありません。行動を正当化する必要もありません。ただ、その人がそう思う理由や背景を考えてみることはできるはずです。
②心の中で距離を取ったまま眺める
いわゆる「傍観者」です。
価値観がぶつかると「自分が脅かされる感じ」がして受け入れにくいです。なので、あえてこう自分に言いましょう。
「これはこの人の世界のルール。でも、僕の世界のルールは別」
これは「人は人、自分は自分」ってやつですね。「この人のためにメンタルや時間を使うのはもったいない」などのマントラとも言えます。
こうすると、自分を守ったまま相手を観察できます。
特に政治の価値観は、見ているメディアや周囲のコミュニティで大きく変わります。つまり価値観の「土壌」が違うのです。価値観は、その土壌の産物なので、同意はできなくても、「なるほど。そういう世界に住んでいるのか」という理解は可能です。
受け入れる=相手に侵略される、ではありません
③一部だけ拾う
正反対の価値観をまるごと受け入れる必要はありません。1%でも「なるほどね」と思える部分があればそれでOK。そこだけ受け入れてもいいのです。
例えば選挙の演説妨害をする人なら、「政治に興味をもっている」ということは自分と共通しています。
完璧主義ではなく適当力・最善主義、減点主義ではなく加点主義ということを以前も見ましたよね。
しかし、多くの人は「全面賛同」か「完全拒否」の二択になってしまいます。それだと苦しくなります。
こういう極端さをやめて「拾えるところだけ拾う」でラクになります。あくまで自分の価値観は守ったままでOKです。
正反対の価値観を前にすると、脳が「危険、脅威」と判断するのは自然な反応です。無理に受け入れようとして消耗しなくていいのです。理解できる範囲だけ理解すれば十分です。
1%も受け入れられない場合もあります。それも自然です。
受け入れられない理由のひとつは、自分の価値観がまだ整理されきっていないからです。
なので、自分の大事にしているものは何か、どこが脅かされたと感じたのか、何が怖かったのかなどを自分の中で言語化すると、受け入れる余裕が出てきやすいです。
最初にも述べましたが、受け入れることは「同意・賛成」ではありません。ただの「思考実験」とすればいいのです。
こんな事例はどうですか?
別の例で練習してみましょう。こういう事例ならどうでしょう?
電車に乗っていて、スーパーのカゴ(マイカゴではなく)を2つ持っていた方がいました。風貌からして生活保護やホームレスのような方です。
これはいわゆる「かごパク」というもので、窃盗罪にあたります。
しかし、生活保護やホームレスのような方が相手だと、弱者保護団体から抗議されるため、スーパーは強気に出ることができず黙殺されている(泣き寝入りをしている)状況です。
また、この方は荷物を座席いっぱいに広げ、さらには床にもカゴを置いて他の乗客の座るスペースや立つスペースをなくしています。

このとき、ほめ達ならこのカゴを持っている方やスーパーに対し、どう解釈しますか?
「ウザい、邪魔だな」と思うことは簡単です。でもそれではほめ達ではありません。
どう「価値」を見つけますか?
背景の事情を考慮し、労をねぎらうにしても、どうやりますか?
《今日のほめフレーズ》
早く●●さんに(みなさんに)追いつきたいです
今回はあまりにかけ離れている人の価値観を受け入れる方法について述べていきました。
繰り返しますが、正反対の価値観を「丸ごと受け入れる」必要はないし、しなくていいです。
今回もありがとうございました。